ラ ドル知ヱ 美ータ。


イタリア旅行記/本/ライブ/映画/アート/まちあるきetc
by kaioko
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松ヶ根乱射事件

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鈴木光太郎は派出所に勤務する真面目な警察官。彼とは対照的にだらしない双子の兄・光は、姉夫婦が切り盛りする畜産業を気まぐれで手伝っている。そして、さらにだらしない父親・豊道は現在家出中。そんなある日、光太郎のもとに、道端で女の死体が発見されたとの連絡が入るが…。

舞台は1990年代半ば、雪深い田舎町、松ヶ根町。暗く、狭い閉塞的な町で繰り広げられる、日常のちょっとした気持ち悪さの積み重ね。これをリアリズムの映画というなら、リアルとはなんと救いようがなく、情けなく、気持ちが悪いのか。冒頭、辺り一面の銀世界と抜けるような青空の下で気絶している一人の女性、その体をゆっくりとまさぐり始める小学生、というオープニングからしてイヤ~な感じ。そして、その気持ち悪さは作品全体を貫いている。ダークコメディとも、ブラックユーモアとも言い切れない、今までにないこの映画の世界観を成立させているのは、ひとえに主演の新井浩文をはじめとしたキャスティングであるといえるかもしれない。

新井浩文、つげ義春の漫画のたたずまいというか、ダークサイドの荒川良々というか、なんともいえない存在感のある俳優さんである。いわゆる眼力という時の、人を射抜くような強い視線ではなく、深く暗い沼のような、どこかそれに向き合う者を脱力させる不思議な眼力。青森県弘前市出身、在日韓国人三世というキャリアもその視線に一層の暗さと深さを与えている気がする。松ヶ根~で、警察官の制服に身を包んだ彼は、それだけで結構なブラックだ。
「ゆれる」では香川照之演じる兄、稔の経営するガソリンスタンドの従業員で、稔を慕い、猛(オダギリジョー)を糾弾する。
「剣岳点の記」では、柴崎芳太郎(浅井忠信)らと、日本山岳会の剣岳登頂を興味本位な第三者の目線で、単なる初登頂制覇合戦にしたてあげようとする新聞記者。どちらも、登場シーンはわずかの脇役ながら、印象深い役だった。ニュートラルな立ち位置にいるけれど、ある時急に善にも悪にも振れる、そんな役をやらせたら抜群にうまいと思う。
現在、主演作品「BOX 袴田事件 命とは」が公開中。7月からは、「モテキ」(同名漫画のドラマ化作品・森山未來主演)にも出演、ということで注目したい。


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by kaioko | 2010-05-29 22:53 | 映画・演劇

GOING FLOWER GROUND

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フラワーカンパニーズ・GOING UNDER GROUND
at 長野クラブジャンクボックス


久しぶりにフラカンのライブへ。今日はGOING UNDER GROUNDとのツーマン。先手はGOING~。15年生なので、バンド歴は実はフラカンと6年しか違わない、中堅バンドである。キーボードが入るので変則的だけど、正統派のロックンロールで、メロディアスで、歌詞はピースフル。客が本当に歌を聴きに来ている感じでマナーが良い。ギターの人が気障な竹安くんという感じでした。格好良かった。
続いてフラカン。ハタチ族という歌もあれば、40という歌もあり、30という曲をカバーしていたり、相変わらず歳を気にするバンドである。新曲は「ドッチ坊主大会」というオヤジギャグタイトルの曲。久しぶりに会った同級生に名前を呼び捨てにされた怒りから生まれた歌詞詰め込み型の3分ほどの曲。圭介くんいわく、「地球がどうこう、緑を増やそう、とかよりずっと身近でしょ?」。ぶつけどころのない負の感情を膨らますことによって生まれる、フラカンの曲作りの王道を行く曲である。目下レコーディング中とのことであり、年内にはアルバム発売、ツアーがありそうだ。アンコール明けのラストは、「さよならBABY」。この曲こんなにいい曲だったんだ、と思う。「YES FUTURE」あたりで観客全員スイッチが入り、狂乱のうちにライブ終了パターンとは趣きを異にする。新しいスタンダードかな。

■フラワーカンパニーズセットリスト
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by kaioko | 2010-05-23 00:36 | 音楽・ライブ

Ex(「元カレ/カノ」)

Ex(「元カレ/カノ」)
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転勤で国を越えた遠距離恋愛になってしまうカップル、離婚するにあたってお互いに子供の親権を放棄しようとする夫妻、元恋人をあきらめきれず、新しい恋人が出来ようものなら脅迫して別れさせようとする警官、結婚間近なのに、今は神父のかつての最愛の恋人に出会ってしまったスーパーの店員など、問題を抱えた様々な年齢のカップルや夫婦の6つのエピソードが絶妙に織り交ぜられながら、愛の素晴らしさが歌い上げられる。

「恋愛マニュアル」も4組のカップルのオムニバス映画だったが、これは六組のカップルのお話。タイトルの「Ex」はラテン語で“fuori”を表し、「前の、元の」という意味があり、ずばり「元カレ/カノ」という意味。「元カレ/カノ」って、ここ10年くらいの間に定着した言葉だと思うけど、うまい訳語があって良かったというべきか。この語が造語され定着したのは、「元カレ/カノ」に戻るという人が意外と多いということの証左なのだろうか。
「恋愛マニュアル」と同じように、日本公開されれば、日本人にもすんなり受け入れられるであろう上質のコメディであります。とにかく、笑えて、ちょっと泣ける。脅迫ストーカー男×愛猫家、セクシーボム名優じじいが最高だ。
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by kaioko | 2010-05-05 22:43 | 映画・演劇

Cosmonauta(「コズモナウタ-宇宙飛行士」)

鑑賞三日目(5月4日)
この日は2本を鑑賞。「コズモナウタ」は期待以上に良かった。「Ex」は期待どおり面白かった。

Cosmonauta(「コズモナウタ-宇宙飛行士」)
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1950、60年代、風変わりでてんかんの持病のある兄アルトゥ-ロと大胆で活発な妹ルチャーナは、共産主義を信奉し、コズモナウタ(ソ連の宇宙飛行士)に憧れる仲の良い子供だった。だが、異性の目が気になる10代半ばという年頃になった妹は、兄から距離を取り始める。

コズモナウタはソ連の宇宙飛行士、アストロノーツはアメリカの宇宙飛行士。共産主義を信奉するルチャーナにとってはもちろん宇宙飛行士=コズモナウタだ。ソ連とアメリカが競いあって、宇宙というフロンティアを開拓していた時代。それは多分に政治的なものであり、軍事競争であり、華やかさの裏に多くの犠牲があったことは、例えば宇宙飛行士たちのインタビューを収録したルポタージュ「宇宙からの帰還」を読むとよく分かる。あるいは、宇宙で命を落とすことが運命として決まっていたライカ犬の悲しい瞳-「Vincere」と同じく、実際の映像が差し込まれる本作。
中でも鮮烈なのは、物語の終盤に突如として挟み込まれる「ヤーチャイカ!」という女性の声。これは、ソ連の女性宇宙飛行士ヴァレンチーナ・ヴラヂーミロヴナ・テレシュコーヴァが、1963年に宇宙船ヴォストーク6号で女性で初の宇宙飛行を果たした際、使用したコールサインで、意味は「私はかもめ」。コールサインだから、実際にはたんに「こちら《チャイカ》、どうぞ」というような実務上の呼びかけであるが、チェーホフの小説のセリフに引用されているということからも分かるように、この言葉の響きにはロシア人の特別な叙情が含まれているようである。「ヤーチャイカ」、初の女性としての宇宙飛行という喜びと興奮、そして宇宙でのいいようのない孤独感と悲しみの全てがこの短いコールサインの中に含まれているような気がする。宇宙で悠々とだが孤独にさまよう一羽のかもめ。「地球は青かった」というあまりにも有名なガガーリンの言葉とはまた違った強烈さで、現代に生きる私の心に響く。
ルチャーナは若者の共産主義のグループに所属し、そこでも学校でも家庭でもさまざまな衝突を経験する。それらの衝突はルチャーナ自身の未熟さゆえでもあり、また当時の女性がまだまだ社会で力を持ちえなかったことにも起因する。監督はこの映画で「イデオロギーというものがいかに個人を圧迫するか」ということを描きたかったといっているが、ルチャーナもイデオロギーを持ちながら、結局はイデオロギーそのものと闘った一人の女の子だ。純粋な憧れのみをもって空を見つめる兄の存在は、同時代の良心を象徴しているのかもしれない。
こちらも見終わったあと、どこか清々しく、空をみつめたくなる作品。ロックを中心とした音楽も痛快で良い。
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by kaioko | 2010-05-05 22:41 | 映画・演劇

Tutta colpa di Giuda(「それもこれもユダのせい」)

Tutta colpa di Giuda(「それもこれもユダのせい」) 
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前衛劇のディレクターである若きイレーナは、刑務所の教誨師の依頼を受けて、収容者とキリストの受難劇を上演することになる。だが、そこには思わぬ落とし穴があった。誰も裏切り者のユダを演じたがらないのだ。果たして、イレーナは劇を上演することができるのだろうか…。
『トリノ、24時からの恋人たち』では、トリノに実在する映画博物館の中での恋愛を。今作では、刑務所(まぎれもない現実)の中で演劇(虚構の世界)を。こうした、現実と虚構の入り組んだ舞台設定で、物語を作り上げるのが本当に独創的でうまい。また若い女性の前衛演出家を通した、新しい宗教解釈が新鮮。実際の刑務所で撮影された映像とのことだが、息苦しさや重苦しさ、暗い雰囲気を感じさせないのがすごい。カーシャ・ズブトニアクがイレーナのちょっと野暮ったい可愛さをうまく演じている。修道女役のルチャーナ・リィティツェットの存在も美味しい。
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by kaioko | 2010-05-05 22:36 | 映画・演劇

Vincere(「勝利を」)

Vincere(「勝利を」)
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イタリアに独裁政権を築いたベニート・ムッソリーニに対して、彼の正妻であることを求め続けた女性イーダの半生を、巨匠ベロッキオが緊迫感に満ちた映像でたどる。熱心な社会主義者だったが、ファシストに転向するムッソリーニ。イーダは、全財産を投げ打って支援し、身も捧げ長男を産む。しかし、他に正妻と長女がいたムッソリーニは、彼女を遠ざけていくのだった

歴史は勝者のものである。敗者の真実は伝えられない。まして、敗者に抹殺されてしまった者は、歴史の表舞台には決して上がってこない。
ベロッキオ監督自身も、イーダの存在を知らなかったという。しかし、「夜よ、こんにちは。」で実際の史実をテロリストの側、しかも女性の視点で描いたように、今回もまさに違う視点から一人の女性の半生を鮮やかに描ききっている。教皇や裁判官にまで手紙を書き続け、それを病院の柵に登って投げる姿は狂気としかいいようがないが、観客は彼女がただ真実を訴えているだけなのだと知っているから、その強さに圧倒される。
ジョヴァンナ・メッジョルノ、名前とは裏腹にその三白眼は真夜中の闇の中で輝く。ムッソリーニを演じた、フィリッポ・ティーミは「重なりあう時」にも出ていたが、どこか知性を感じさせる俳優であるのに、ムッソリーニの動物的な、どちらかというと知性の抜け落ちた感じをよく演じていたかな、という気がした。ただし、イーダと成長したムッソリーニの息子の狂気の前には、やや霞みざるを得ないか。
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by kaioko | 2010-05-05 22:26 | 映画・演劇

Lo spazio bianco(「まっさらな光のもとで」)

Lo spazio bianco(「まっさらな光のもとで」)
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女性のコメンチーニ監督が、マルゲリータ・ブイを主演に迎え、母であることをテーマに据えた作品。離婚後は、教師として働き独立して暮らしてきた30代後半のマリア。期せずして妊娠するが、彼氏は出産を望まないので、シングルマザーとして生きていくことを決意する。しかし、妊娠6ヶ月で出産。マリアに出来るのは、保育器の中に入った赤ちゃんを毎日見守ることだけだった。

この作品はもう「ただ『待つ』という行為の尊さ」につきる。タイトルの「Lo spazio bianco」は、「まっさらな光のもとで」という邦題がついているけれど、母親と未熟児しかいない部屋の「白い空間」と、ただ願い、待つことだけを強いられる「空白の時間」というダブル・ミーニングだろう。
妊娠して病室に運ばれる最中に、「生まれてもすぐに死ぬか、生きても重い障害が残るか、そのまま生きるか、わからない」といわれるなんて。赤ちゃんが、自分で呼吸をするのを待つ、自分が母親になれるかなれないかを待つ、そんな「空白の時間」をどんな思いで過ごしたらいいのか。マルゲリータ・ブイはイタリア的マンマの強さではなくて、もっと普遍的な母の強さを真摯に演じている。
彼女は言わずもがな、「重なりあう時」のクセニア・ラパポルトにしても、「勝利を」のジョバンナ・メッジョルノにしても女優の潔さというか、覚悟みたいなものが感じられ圧倒される。日本の女優さんは平均してみんなキレイで、逆に違和感が感じられて、作品に入り込めないことがあるのは私だけか。
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by kaioko | 2010-05-05 22:24 | 映画・演劇

La doppia ora(「重なりあう時」)

鑑賞二日目(5月3日)
この日は4本の作品を鑑賞しました。期せずして、4本とも女性が主人公で、全く違う作品ながらいずれも女性の強さ、したたかさを見せつける作品ばかりでした。

La doppia ora(「重なりあう時」)
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ホテルで清掃係として働くスロベニア移民のソニアと、元警察官で今はガードマンのグイド。カップリング・パーティーで知り合った二人は、すぐに恋に落ちる。ある日、グイドは仕事場の別荘にソニアを誘うが、そこで二人の人生を一転させる事件が起きてしまう。

フリーランスのカメラマンで、雑誌の写真の撮影などを手がけてきたカポトンティ監督。生粋の映画人というわけではない監督の長編第一作とのことで、ちょっと異色な作品という印象を受ける。異質な空気をスチール写真のように切り取って繋げて見せているというか。画の妙、リズムが感じられる作品で、ストーリーそのもののパラレル感が伝わってくる。
主人公のクセニア・ラパポルト、「題名のない子守唄」といい、謎めいた女性の役が本当にうまいなぁと思う。
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by kaioko | 2010-05-05 22:20 | 映画・演劇

Questione di cuore(「ハートの問題」)

鑑賞一日目(5月2日)
イタリア映画祭も今年で10年目。サプライズには欠けていたように思いますが、二日だけ大坂での開催があるそうで、もっと全国でイタリア映画が観られるようになると映画祭の意義も増すと思います。今年は何作に配給会社が見つかるでしょうか。

Questione di cuore(「ハートの問題」)
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脚本家として功を成したが、一匹狼でおしゃべりなアルベルト。自動車修理工場を経営し、堅実で家庭を大事にするアンジェロ。人生が交わることが無さそうな二人は、共に心臓発作を起こし、たまたま同じ集中治療室に運び込まれる。意外にも意気投合した二人は、退院してからも友達として付き合うようになる。

-他人の人生に本当に深く関わるとはどういうことか。

アルベルトは脚本家として一応の成功は収めたが、生死の間をさまよい、恋人とも別れ、「生きる力」が弱まっている。脚本家であるアルベルトにとって「生きる力」とは、「物語を作る力」そのものだ。彼にとって、例えば「なぜ結婚しないのか?」という問いは、歯の痛み程度でしかない。病に倒れる前のアルベルトは、いわばその程度の問いしか発さない人間関係の中で生きてきた。得意のおしゃべりで心のバランスをとってきたのだろう。恋人だけが、本当の彼を見つめようとしていたのに気がつかずに。
しかし、アルベルトはアンジェロやその家族たちと関わることによってゆっくりと自分らしさを取り戻していく。最初はとまどうが、夫であるアンジェロを、そしてアルベルトを理解しようとする妻。多感で反発ばかりするが、ゆっくりと心を開いていく娘。そして、アルベルトはアンジェロの息子に「ある人間を観察し、想像力を働かせ、問いを発して、解を得る」・・・人を真に理解する方法を「伝授」する。それは積極的に人間に関わっていく技術だ。
たまたま同じ病室で、いきなり自分の名前を呼んだアルベルトにアンジェロは他人の人生に-自分自身の人生に深く関わっていく人間だと、直感で理解したのかもしれない。
観終わった後、とても清々しくなれる作品。

病室の場面で、思わぬ豪華なゲスト出演があったのにびっくり。イタリア映画ファンにはうれしいサプライズ。
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by kaioko | 2010-05-05 22:16 | 映画・演劇

恒例!イタリア映画祭-2010

今年もイタリア映画祭に行ってまいります。5年連続の参戦。イタリア映画をまとめて観られる機会はあまりないので。
今回鑑賞予定の作品は
Tutta colpa di Giuda(「それもこれもユダのせい」)
Ex(「元カレ/カノ」)
Questione di cuore(「ハートの問題」)
Vincere(「勝利を」)
Cosmonauta(「コズモナウタ-宇宙飛行士」)
La doppia ora(「重なりあう時」)
Lo spazio bianco(「まっさらな光のもとで」)

の7本です。
注目はチケット完売の「Vincere」、キム・ロッシ・スチュワート出演の「Questione di cuore」、マルゲリータ・ブイ主演の「Lo spazio bianco」、最近宇宙に興味があるので「Cosmonauta」、ストーリーが面白そうな「Ex」です。
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by kaioko | 2010-05-01 23:18 | 映画・演劇

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