人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ラ ドル知ヱ 美ータ。


イタリア旅行記/本/ライブ/映画/アート/まちあるきetc
by kaioko

虹彩の交際

虹彩の交際_b0068541_2226054.jpg
Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「奇想の王国~だまし絵展」へ。今月末まで開催中。私が6月に行ったときも大変混雑していました。小さなお子さんも楽しめるので、夏休み中も混雑しそう、朝早めに行くことをオススメします。

ジュゼッペ・アンチンボルトの「ウェルトゥムヌス(ルドルフ2世)」が初来日ということで、謁見しに行く。この作品にはたくさんの意味が込められている。描かれているのは古代の神で変身能力を持つとされるウェルトゥムヌス(果樹と果物の神)が神聖ローマ帝国のルドルフ2世に姿を変えた瞬間であるという。神や英雄に自分をなぞらえた権力者の肖像画は多く存在する。アンチンボルトはさらに様々な穀物、野菜や花など(63種!)で王をかたどることで、豊かな神聖ローマ帝国、さらにそれを治めるハプスブルク家の豊かさとルドルフ2世への賞賛を表してもいる、と思う。(実際のルドルフ2世は文化的な功労者ではあったが、政治的手腕はあまりなかったらしい。)頬に埋め込まれた果実(桃?)のはちきれそうな豊かさを見よ。
ところで同じアンチンボルトの別の作品のポスターが、ラーメンズの小林賢太郎さんの仕事部屋に飾られていたのを見た。アンチンボルトはいわば絵画におけるダブルミーニングのはしり。賢太郎さんもダブルミーニングの名士である。見方を変えると意味も変わる。レイアウトを変えるとアートになる。アートとはレイアウトである。何百年も前の画家が作品を遺した作品を、何百年も後の鑑賞者が当時と同じ感覚を持って作品を知覚できるということがだまし絵、ひいては絵画を見ることの楽しみなのかもしれない。

絵画を見るということは他者の探究を探究することである。表現としての絵画はアフォーダンスを「探究」した結果である。環境の知覚におけるアフォーダンスの探求と、表現された絵画を知覚することにおける「探究されたアフォーダンス」の探究は前者が死による以外の終わりがなく、後者が任意に終了されていることにおいて決定的に異なる。その意味では絵画は「探究の休止」を描いているとも言える。
「レイアウトの法則~アートとアフォーダンス」 佐々木正人


モネの光溢れる蓮の湖面も、ルノアールの青白い裸体の表現も、至近距離ではただの油絵の具の盛り上がりに過ぎない。しかし、何歩か退いて引いてみるとやがて色彩の塊が像を結ぶ、画家の描きたかったように「見える」。どんな絵画も大きなくくりでみればだまし絵だ。「だまし絵展」の作品は、「絵画は見られるもの」であるという当たり前のことを鑑賞者に意識的に提示してくれている。
by kaioko | 2009-08-13 22:31 | アート・美術館

最新の記事

いとうせいこう再考
at 2013-05-07 22:36
ウィーン紀行2
at 2012-11-13 07:35
ウィーン紀行
at 2012-11-13 06:47
東京スカイツリー
at 2012-06-19 21:36
パワーストーン
at 2012-03-22 21:47
定期入れ
at 2012-03-12 21:22
渋谷2012.3
at 2012-03-04 10:16
銀座2012.3
at 2012-03-04 09:54
チョコレート2012.2
at 2012-03-04 09:41
レッチェ、マテーラ写真集
at 2012-02-07 23:45

フォロー中のブログ

ブログパーツ

ファン

ブログジャンル

画像一覧