ラ ドル知ヱ 美ータ。
イタリア映画祭2009
今年もイタリア映画祭に行ってきました。今年も12本の作品が上演されましたが、今年は少なめに4本を鑑賞しました。
「見わたすかぎり人生(Tutta la vita davanti )」
「よせよせ、ジョニー!(Lascia perdere, Johnny!)」
「ソネタウラ~“樹の音”の物語」(Sonetàula)
「プッチーニと娘(Puccini e la fanciulla)」
最も印象に残った作品はパオロ・ベンヴェヌーティ監督の「プッチーニと娘」。直前に上映された短編映画「ミケランジェロのまなざし」とともにレビューをどうぞ。
「ミケランジェロのまなざし(Lo sguardo di Michelangelo )」[2004年/15分]
「プッチーニと娘(Puccini e la fanciulla)」[2008年/84分]
1909年、トスカーナ地方で、ジャコモ・プッチーニはオペラ「西部の娘」の作曲に取り組んでいた。その矢先に、彼との浮気の容疑をかけられたメイドのドーリアが自殺する事件を、ベテラン監督ベンヴェヌーティが新解釈したプッチーニ生誕150周年記念作品。
「プッチーニと娘」の前に、2007年に亡くなったミケランジェロ・アントニオーニ監督の短編映画「ミケランジェロのまなざし」が上演される。監督自身が、同じ名前の大芸術家ミケランジェロ・ブオナローティの彫刻をローマのサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会に訪ねるという「ミケランジェロ」同士の邂逅を15分に凝縮したフィルム。なかでも、ミケランジェロが30歳の時に制作を始め、70歳の時に完成させたモーセ像が丹念に観察され、印象に残る。
彫像のまなざし、アントニオーニ監督が彫像を見るまなざし、もうひとつのまなざし(=キャメラ)とは交わることない。また、声は発せられることなくわずかな物音のみが聞こえる。しかしこのフィルムでは、彫刻を通して、偉大な芸術家どうしが特殊な聴覚で「見えない会話」を交わしている。監督のミケランジェロ、そして映画を含めた芸術作品に対する敬意が、不思議な感覚を通して伝わってくる。
「プッチーニと娘」も声がいっさいなくわずかな物音しか入らない「ミケランジェロのまなざし」と同じように、会話もほとんどなく、モノローグとわずかな物音によって物語が進んでいく。ただ「ミケランジェロのまなざし」によって通常の感覚を少し狂わされてしまった鑑賞者に今度は、豊かなトスカーナの自然とプッチーニの音楽が入り込んでくる。場面が一枚の絵のように静止したかと思うと、光や影のわずかな動きや、人物の強い感情を含んだ視線の動きや、足音や、ショールをはおる音(実際は音はしないのだが)で、湖面を進む小船の櫂の音で、まるで音楽が流れるように場面が切り替わっていく。
プッチーニはイタリアを代表する音楽家であり、イタリア人の耳をもってこの映画を観ればもっと心にせまるものを受け取れるのかもしれない。この作品も映画というメディアを通して、時代を越え、偉大な芸術家と芸術への敬意を表している。「ミケランジェロのまなざし」の「15分間の奇跡」のあとに、「プッチーニと娘」が上映されたのは、「プッチーニと娘」が今回の映画祭の中で一番上映時間が短い長編映画だからなのか。しかし、この二作品は「幸福な二本立て」として鑑賞すべきである。
「見わたすかぎり人生(Tutta la vita davanti )」
「よせよせ、ジョニー!(Lascia perdere, Johnny!)」
「ソネタウラ~“樹の音”の物語」(Sonetàula)
「プッチーニと娘(Puccini e la fanciulla)」
最も印象に残った作品はパオロ・ベンヴェヌーティ監督の「プッチーニと娘」。直前に上映された短編映画「ミケランジェロのまなざし」とともにレビューをどうぞ。
「ミケランジェロのまなざし(Lo sguardo di Michelangelo )」[2004年/15分]
「プッチーニと娘(Puccini e la fanciulla)」[2008年/84分]
1909年、トスカーナ地方で、ジャコモ・プッチーニはオペラ「西部の娘」の作曲に取り組んでいた。その矢先に、彼との浮気の容疑をかけられたメイドのドーリアが自殺する事件を、ベテラン監督ベンヴェヌーティが新解釈したプッチーニ生誕150周年記念作品。
「プッチーニと娘」の前に、2007年に亡くなったミケランジェロ・アントニオーニ監督の短編映画「ミケランジェロのまなざし」が上演される。監督自身が、同じ名前の大芸術家ミケランジェロ・ブオナローティの彫刻をローマのサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会に訪ねるという「ミケランジェロ」同士の邂逅を15分に凝縮したフィルム。なかでも、ミケランジェロが30歳の時に制作を始め、70歳の時に完成させたモーセ像が丹念に観察され、印象に残る。
彫像のまなざし、アントニオーニ監督が彫像を見るまなざし、もうひとつのまなざし(=キャメラ)とは交わることない。また、声は発せられることなくわずかな物音のみが聞こえる。しかしこのフィルムでは、彫刻を通して、偉大な芸術家どうしが特殊な聴覚で「見えない会話」を交わしている。監督のミケランジェロ、そして映画を含めた芸術作品に対する敬意が、不思議な感覚を通して伝わってくる。
「プッチーニと娘」も声がいっさいなくわずかな物音しか入らない「ミケランジェロのまなざし」と同じように、会話もほとんどなく、モノローグとわずかな物音によって物語が進んでいく。ただ「ミケランジェロのまなざし」によって通常の感覚を少し狂わされてしまった鑑賞者に今度は、豊かなトスカーナの自然とプッチーニの音楽が入り込んでくる。場面が一枚の絵のように静止したかと思うと、光や影のわずかな動きや、人物の強い感情を含んだ視線の動きや、足音や、ショールをはおる音(実際は音はしないのだが)で、湖面を進む小船の櫂の音で、まるで音楽が流れるように場面が切り替わっていく。
プッチーニはイタリアを代表する音楽家であり、イタリア人の耳をもってこの映画を観ればもっと心にせまるものを受け取れるのかもしれない。この作品も映画というメディアを通して、時代を越え、偉大な芸術家と芸術への敬意を表している。「ミケランジェロのまなざし」の「15分間の奇跡」のあとに、「プッチーニと娘」が上映されたのは、「プッチーニと娘」が今回の映画祭の中で一番上映時間が短い長編映画だからなのか。しかし、この二作品は「幸福な二本立て」として鑑賞すべきである。
by kaioko
| 2009-05-09 22:01
| 映画・演劇
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