ラ ドル知ヱ 美ータ。


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神長官守矢史料館・高過庵見学記

四月も終りのころ、茅野市にある神長官守矢史料館へ行く。
ここには諏訪大社上社の神官のトップである神長官を代々務めてきた守矢家の史料や、毎年行われる御頭祭の復元資料、そして同家に伝わる古文書などが展示されている。御頭祭は古来から営まれてきた祭事であり、それ自体にももちろん興味があるものの、ここを訪れた一番の目的は、建築家藤森照信の建築家デビュー作だからだ。
実際、県外からの客が8割であり、来館目的も建物見学がほとんど、という。

建物の最大の特徴は、鉄筋コンクリートの構造物でありながら見た目は木造民家を思わせる外観にある。「工業技術を自然素材で包む」-処女作にして藤森建築の理想を体現した建築であるといえる。
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(建物正面)
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築年は1991年。「藤森建築と路上観察展」のパンフレットには建築当時と思われる写真が掲載されている。それと比べると側面を囲む板が黒く風化して、いい風合いとなっている。
(建物側面)







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周りに葉を茂らせる立木も大分伸びている。正面より右側面に回りこむと、その立木を刈り込んで、建物に至る細い道が造られている。そこを通って、建物に近づき、板や土壁を間近で見、それらに触れることもできるようになっていた。間近に見られる。手で触れられる。そうすることができるのと、できないのとでは大違いだ。

板は戦前まで屋根葺き用に用いられていた割り板の技術を復活させ、長い板を割り出し壁用に使っており、壁はワラを混ぜた土色のモルタルを粗く塗り、その上に土を吹付けて仕上げたという。そんな藤森先生のこだわりが間近に見られるこの演出に、感動してしまった。

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正面に戻る。建築の外観を独特なものにしている屋根から突き出た四本の柱は、この村(高部)に生えるミネヅオ(イチイ)の木だという。柱についている鳥の飾りのようなものは、薙鎌(なきがま)といい、諏訪大社の御神体を模したものである。







屋根の安山岩(通称は鉄平石、平石)は、戦前までこの地方の一般的な屋根葺き材であった。一番広い面積を覆うのが、その諏訪市上諏訪産の鉄平石。後方の部分の屋根は宮城県産とフランス産の石が使われている。伝統的民家の形を意図して拒んだという外観はなるほど独特であるが、地元産の自然素材にこだわって造られた建物だけあって、周りの風景と違和感なく馴染んでいる。
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左手にひっそりと在る杜がミシャグチ社である。守矢家は、このミシャグチ様にまつわる祭祀を代々司ってきたわけである。
訪れる人が絶えない。建物に入る前の入り口の引き手や障子、電灯など細部も見逃せない。





中に入るとどうしたってまず目を引くのが、壁にかけられた鹿と猪の頭部の剥製である。古来の御頭祭では七十五頭もの獣の首が捧げられた。中に一頭だけ右の耳に傷のある鹿の頭がある。これは耳裂鹿といい、神の矛にかかったものだという。ほかに、兎の串刺しの剥製やら、焼皮(猪の頭皮を焼いたもの)やら、脳和なる獣肉の料理が復元されている。
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ところで、御頭祭は春の祭である。ミシャグチ様は冬になると、前宮に造られた御室(みむろ)と呼ばれる竪穴住居の中に籠る。そうして、春になると動物達が穴から出、植物たちが芽を吹くのと同じように地上に蘇る。三月の酉の日に“神と人との饗宴”があり、その後ミシャグチ様は地方に旅立たれる。この三月の酉の日の祭りが、現在も四月十五日に行われる大御立座神事(酉の祭・御頭祭)である。

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神とともに春の訪れを喜び、感謝する。そのために捧げられた供物の血の匂いは、同時に冬の間地中に籠り、貯めこんだ力を一気に解放する、あるいは衰えた力を一気に回復させるものだったに違いない。豊作への「祈り」や「感謝」をする農耕祭祀以前の、原始的な狩猟祭祀―生殖能力だったり、狩猟能力だったり、人間が生きていくための根源的なエネルギーを蘇らせ、鼓舞する祭りなのだと思う。



建物内部を観る。入り口を入ると、左手に階段がある。建物ができるだけゆったりとした空間に見えるように、階段の幅が少しずつ細くなっている。そして、中段からは電動開閉式の木造の階段となっている。特別に、階段を上がらせてもらうことができた。
二階は古文書の保管庫となっており、非公開。壁はコンクリート造りになっているという。

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建物内部を広い空間に見せる工夫は、まだある。入り口右手のガラス窓。手吹きのガラスからは外の光が優しく入り込み、緑も眩しい。壁と床は同色で、暖色系の温かみのある塗り壁だ。同色の壁と床は境が曖昧で、空間に広がりを持たせる視覚効果がある。



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奥の部屋には、守矢家で保管している古文書(守矢文書)が公開されている。ちょうど「信濃の武将たち」という企画展が催されていた。守矢文書には村上氏、高遠諏訪氏など、ほとんど文書が残されていないものも多く、非常に貴重なものという。


この史料館の窓から、藤森先生の「別荘」、高過庵を見ることができる。
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高過庵は、史料館から歩いて10分ほど。藤森先生のプライベートな建物なので、中に入ることはできない。畑の中にひょっこりと現れるそれは、二本足の架空の生物のようで、今にも歩き出しそう。ここにも見学者が絶えない。先ほど、史料館にいた私と同じくらいの年の女性。須坂から来たという。自転車で小淵沢の方から来たという初老の男性も、写真を撮っている。いずれもやはり藤森建築に興味があるのだという。
なにやら包みを持って現れた、中年の女性。梯子の下から上を見上げて、大声を張り上げる。「藤森せんせ~い!!上がっていってもいいですか~!?」

・・・ん?「藤森先生」?

すると高過庵の小さすぎる窓が内側から開き、そこに眼鏡をかけた白髪の初老の男性がにっこり微笑んでいる。なんと、藤森照信教授その人なのだった。中年の女性は梯子を上りはじめ、高過庵の中へと入っていく。あとから二人女性が来て、同じくこわごわと梯子を上り中へ入っていった。地元の友人の集まりなのだろう。これで中には4名の人間。定員というところか。やがて先ほど開いた窓とは違うやや大きいほうの窓が開け放たれ、そこから談笑の声が響きはじめた。驚いた。その小宇宙にはちゃんと、人間が居たのだから。 
その風景は史料館の脇にあった小道と同じように、私を感動させるものだった。またいつかここを訪れて、そこに高過庵があることを確認しようと思う。
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by kaioko | 2008-10-12 16:21 | 国内旅行

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