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荻原守衛展~ギャラリートークに参加

県信濃美術館のモニター会議の一環で、「没後100年荻原守衛展」のギャラリートークに参加する。一回観たのだけど、今回は学芸員の方が説明してくれながらの鑑賞。彫刻展というのは絵画展に比べれば、鑑賞する機会が少ないし(そして集客も少ないそうである)、彫刻という芸術の知識もなく、鑑賞の仕方というのがわからない。普段は音声ガイドはじめ、美術館のガイドツアーなどにも参加せず、一人で観るのが好きなのだけど、彫刻の見方も含めた学芸員の方の説明がとても面白く、勉強になった。
まず、「荻原守衛展」と銘うったことについて。安曇野に「碌山美術館」という守衛の美術館があるが、碌山は生前は本名の「守衛」の名で作品を出品したとのこと。今回の展覧会には守衛の関係人物相関図のパネルなどもあり、彫刻家・碌山というよりは人間・守衛としての展覧会という美術館の意図があったように思われる。
展覧会の構成は二会場に分かれており、第一会場は守衛の作品、第二会場は守衛と同時代からそれ以降の守衛に影響を受けた作家の作品が並ぶ。
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第一会場に入ってすぐに目に飛び込んでくるのは守衛の最高傑作にして、絶作の「女」。守衛には相馬黒光という生涯憧れ続けた女性(師、相馬愛蔵の妻、新宿中村屋にてサロンを開くなど知性と才能に溢れる女性だった)がいて、この「女」には別にモデルがいるのだけど、黒光の子供がこの作品を観て、「お母さんだ」と言ったという逸話もあり、その顔はどことなくこの憧れの女性の面影があるようだ。全身に光を浴びているような「女」の表情は恍惚とも苦悩ともとれる何ともいえない表情をしている。かなわぬ恋を抱きながら、30歳で急逝した守衛。なんだかそれだけで、ぶわっと涙が溢れそうになる。

さて、守衛は日本の彫刻に多大な影響を及ぼしたが、何がすごいのか。

学芸員の方が「女」を解説しながらこの点を説明してくれる。守衛のすごさ=守衛がパリでその作品「考える人」を観て感動したロダンのすごさでもある。守衛はロダンに逢って彫刻家を志した。ロダン的なもののまず一つは「ポージング」である。例えば「女」にしても、同じポーズをとろうとしてみると、とても難しい。実際のモデルも苦労したそうである。体が何段階かに「ねじれている」のだ。それまでの彫刻というのは「ただあるがままを立体にする」という考え方だった。しかし、ロダン、守衛は違う。実際には不可能にも思われるポージングによって、前に倒れてしまいそうな、まさにそのことによって、「前にでるエネルギー」を作品の中に宿し、生命感を表現したのだ。「あるがまま」=生命感というそれまでの彫刻の常識を覆してしまったのがすごいところ。

もう一つは、「女」の足元がわざと「粘土に埋もれているように見える」ようにして、「粘土が作家の手を経て人に変っていく」ように表現したところ。そういえば「女」の足元はゴテゴテと粘土が盛り上がって、粘土の中から女が生み出されたように見える。こういった生命感を表現する演出されていることが、ロダン=守衛の彫刻の特徴である。

このことを踏まえて、他の守衛の作品を観つつ、それに対する芸術界の評価もみていくと、当時、守衛の何が新しく、あるものは受け入れられ、あるものは受け入れられなかったのか、また守衛の苦悩や葛藤もよく分かる。

第二会場にうつり、守衛と同時代の彫刻家、またそれ以降の作品を観る。まずは、守衛の親友でもあった戸張弧雁。守衛に比べて小さな作品が多いが、守衛がストレートに感情を表現したのに対して、弧雁はもっと観念的というか、詩情的。ことに「煌めく嫉妬」と題された作品はその絶妙な作品名ともあいまって、普遍的な嫉妬の感情を粘土の塊で表現してあるという感じで印象に残る。それから石井鶴三。頭のみの像だが、「彫刻」は図録ではなく実際に目で観るべきということをこの小さな像は教えてくれる。実際に粘土で頭の形を造ろうと思うと、ものすごく難しい。この像は図版で正面だけ観るとのっぺりした表情だが、実際にみると「石井鶴三ってこんなにうまかったんだと感動する」、と学芸員の方がおっしゃっていた。然りと思う。そして当時、守衛と評価を二分した朝倉文夫の「墓守」。ロダンの思想を取り入れた「在野」の守衛に対して、朝倉はロダン、守衛の影響を受けつつも、対象を忠実に表現するいわゆる「主流」、正統派、彫刻の構築性を大切にする。なるほど足元の粘土は盛り上がることなく、「墓守」は平らな地にしっかりと立っている。

守衛はその短い人生の中で、たくさんの出会いをしている。師の愛蔵であり、その妻にして憧れの女性の黒光であり、その子供たちであり、弧雁であり、高村光太郎であり、ロダンである。黒光が嫁入り道具で持ち込んだ油絵を観て画家を志し、アメリカに渡り、フランスへ渡り、ロダンに逢って彫刻家を志し・・・粘土に命を吹き込むには、そういった出会いから得るたくさんの刺激と感動があり続けたのだろうと思う。
芸術上の新機運は無限に発展してとどまることころもなく進むであらうし、造形上の革命も幾度か起るべきであるが、しかしその根元をなす人間の問題は千古不磨である。誠実ならざるもの、第二思念あるもの、手先だけによるもの、気概だけに終始するもの、一切のかういふものは、いつか存在の権利を失ふであらう。荻原守衛の芸術の如きは、時代的にふるくなればばるほど、人に郷愁のやうなものを感じさせ、人の心をとらへ、人を喜ばせ、美の一典型のやうなものを感じさせてやまないであらう。私はこの世で荻原守衛に逢つた深い因縁に感謝してゐる。
-高村光太郎『新潮』、昭和29年6月

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by kaioko | 2011-03-06 00:08 | アート・美術館

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