ラ ドル知ヱ 美ータ。


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写真映画「ヤーチャイカ」を観る。

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もう死ぬしかないと思いつめてふらふらと村へ辿り着いた男と、過去に心と体に残酷な傷を負った女。ふたりを束の間結びつけたものは何だったのか? 人類史上初めて女性が宇宙から地球に呼びかけた「ヤーチャイカ」という言葉が、呪文のように男と女を解き放つ――。言葉を「詩」で綴り、映像はすべてスチール写真で構成するという、異色の作品。監督は詩集「二十億光年の孤独」でデビューして以来、半世紀以上、創作の第一線で活躍してきた現代詩の巨匠・谷川俊太郎。原作は、覚和歌子の詩集「ゼロになるからだ」の一編「ヤーチャイカ」。

まつもと市民芸術館にて、「ヤーチャイカ」という作品を観る。写真映画。それは、スチール写真とナレーションと音楽のみで構成される。主演は香川照之と尾野真千子。しかしこの演技派の二人の演技は作品を構成していない。その演技の表情の一瞬一瞬が切り取られて、繋げられているのだ。

作品上映の前に、覚和歌子、谷川俊太郎両監督のプレトークがあった。俊太郎さんの詩は大好きだ。トークは、いかにこの写真映画の製作というものが大変だったかということが存分に伝わってくるものだった。

最初、俊太郎さんは写真映画なんて5枚の写真で終われると考えたらしい。今、開催されているフェルメール展で、一枚の絵の前で2時間居られるという人もいることを考えれば、理論的には5枚で十分だというのである。対する覚さんは70枚くらいで終われると考えていたらしい。ところが実際に使われた写真は1000枚近く。写真を選び、「この写真を何秒見たいか」、という基準で長さを決め、音楽に当てはめ、ナレーションを当てはめていく。だいたい美術展などでもそうだが、ある芸術作品を何秒見たいか、あるいは見ているかなんて人によってまちまちだ。だから写真映画の編集には、監督としてこの写真を何秒見せたいかということと、観客としてこの写真を何秒見ていたいかということがせめぎ合う。実際、両監督の間で、編集段階でかなりせめぎ合いがあったらしく、覚さんは俊太郎さんに「回し蹴り」をくらわそうと思ったこともあったとか。それは、論理的に説明できることを求める男性性と、そうではない女性性という性の違いもあれば、監督それぞれの個による違いもあると話していたのが興味深かった。

また、お二人とも映画監督というキャリアではないわけで、映画というジャンルを飛び越して写真映画というものに挑戦したために、なによりもまず映画というメディアについて考えることが多くあったみたいだ。まず、映画は金がかかる。そして、映画は完成というものがない。撮影を終え、編集をしても、いざ上映すると、会場や観客や機器などが思わぬことを引き起こし、作品が全く違ったものになってしまう。そして、それに手を加えようとするとまたお金がかかる。このようなメディアに携わる人たちだから、全く文学に携わっている人と人種が違うということだった。「DVD化するにあたり、監督がディレクターズ・エディションとかコンプリート・エディションとかを出したがる気持ちが良く分かった」とも。実際この映画のDVD化も進められているようだが、もしかしたら全く違ったものになっているかもしれない。

また、この写真映画をつくるにあたっては「前衛的なものにしたくない」ということが、お二人の中ではあったようだ。写真映画という試み自体が新しいものであり、このコンセンサスが図られていなければ、作品は前衛的なものに簡単に転んでしまったかもしれない。動画では伝えられない、静止画の世界だからこそ伝えられるなにか。写真映画という彗星がこの二人の監督の目の前に落ちたことは、その未来にとって幸運であったかもしれない。

言葉では伝えられない、感じ取るしかないもの。でも、私達の半径15メートルほどの多くは、言葉で伝わるもの、もしくは伝えなくてはならないものが圧倒時に多い。言葉では言い表せない、感じ取ってほしいというのは、多くの場合、甘えであり、傲慢だ。言葉や動きがない、この写真映画で、監督が感じ取らせようとするものが、言葉で説明できるものだったら、作品はひどく退屈なものになったと思う。

本当に言葉では伝えられない、感じ取るしかないなにものかとは、もっと大きいなにものか、例えば宇宙の法則だとか、人間の生死のようなもの。俊太郎さんの「芝生」という詩をご存知のかたならなんとなく分かってくれるだろうか。男女の愛と再生の物語を通して、語られるのは自然が人間を生かす力や、それを感じ取る人間の生命力、人間かあずかり知ることのできない死というものの圧倒的な存在や、しかしそれは生と繋がっているということ・・・そういった答えのない問いかけに向かいあうとき、人は宇宙に向かう宇宙飛行士のように一人なのだということ。しかし、それは人類最初の宇宙飛行士テレシコワの「ヤーチャイカ!」という声や、この映画のラストのように希望に満ちたものである。

今回、「静止」している香川さんを見ていて、私はこの人の顔と体が好きなのだということが分かった。というとなんだか変な感じだが、それは演技するにあたって、常に理論と感情がギリギリまでせめぎ合い、そのマックスを表出するために訓練された顔と体、ということだ。ちょっとした顔や体の歪みや皺や、その下の筋や骨格までも感じさせる肢体。それが、静止画にするとよりよく分かる。
音楽もいい。DVD化が楽しみ。
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by kaioko | 2008-12-08 23:24 | 映画・演劇

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